『政体と日本天皇制』安岡正篤

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三十年間の平成を終え令和の時代を迎えた。このブログではイデオロギー的意思表示は控えていたが、一時代の区切りとして例外とし、この記事に限り天皇および天皇制に纏わるものとする。ここではブログ筆者の稚拙な意見は表明せず、代わりに最も共感を覚えた文書を共有したい。

安岡正篤の『政体と日本天皇制』である。この文書は国立公文書館 デジタルアーカイブより閲覧が可能である。とはいえこれは手書きの文書をスキャンした画像が閲覧できるだけであり、テキスト抽出できるほど鮮明ではなく、旧漢字も多いため、この際一から手作業で転写した。古い文書の為、脱字や読取不能な文字は*と表記した。

—– 以下、転写 —–

天皇制研究第一號 (部外極秘)
天皇制護持の積極的合理的根據に付各方面専門家の協力援助を得て徹底的研究を進め居る處本稿は金雞学院々長安岡正篤氏より提出せられたる意見なり
昭和二十年十二月 外務省調査局第一課長

政体と日本天皇制 安岡正篤
政体は学者に依つて色々に分類せられるが、此處ではやはり一般に慣用せられてゐる旧分類、即ち君主、貴族、民衆の三政体に分つて其の長短得失に對する古来の学者の批判を点検してその立場から日本天皇制を観察してみよう。今や日本を擧げて天皇制存廃問題に賛否の論が喧ましいが、随分感情や偏見を含んだものが多いから冷静に学問的に論述してみたい。かういふ場合誰しも先づ一應溯つて調べて見るのはプラトー、アリストートルである。

◎プラトー説
 プラトーに依れば人間精神には形而上的要素と形而下的要素とがあつて前者は人間を絶對者(イデア)に結び、後者は人間を生滅流轉の感覚世界に結ぶ、その前者を理性と言ひ、後者のうち理性の命に聽従して獄界世界を浄化向上せんとするものを意志とし、これに逆は*とするものを情欲と言ふ。人生は理性の馭者により、医師の駿馬に鞭ち、情欲の衆を率ゐて絶對者(イデア)に歸往するにある。國家もこの意味に於て正しく一つの大なる人である。乃ち人間の情欲に相当する民衆があつて、それに対して理性の命に従ひ、内民衆の安寧秩序を保ち、外、外國の來*を斥ける意志の權化としての文武官吏があり、この両者の上に最髙の理性に当る治者、君主がなければならぬ。君主は理性そのものなるべきが故に、もっとも髙き道德的精神の人、即ち哲人でなければならぬ。哲人にして國家に君主となれば、政治様式等はどうあろうとも問題ではない。哲人が國家に君主とならぬ限り或ひは現在の治者君主にして眞に哲人とならぬ限り民衆は徹底災厄を免れることは出来ないと言ふのである。
 専ら科学を旨とする現代人からはプラトーのかう言う主観主義的の考へ方よりも、次のアリストートルの客観的な説の方が遥かに学問的な魅力を発見されるであらう。

◎アリストートル説
 アリストートルは政治上質は量に伴ふものであつて民衆政治はどうしても少数政治に勝るものと考へた。
(一)多くの事例に於て民衆の輿論は如何なる個人よりもその判断が勝れてゐるのが常である。
(二)多数派少数より腐敗し難い。例へば感情に騙られたり、人に欺かれたりして正道を誤ることが少い。
(三)多数は徒党を作るがその性質は常に多数そのものの性質と同様に比較的善である。 と言ふのが彼の見解である。政治の合理性を民衆の方に認めた者で世人に聊か以外に感ぜられるのはマキヤヴェリである。

◎マキヤヴェリ説
 彼は君主の爲に政道を説いたその有名な政治論の故に極端な専制君主政治論者の様に一般に考へられてゐるが、彼はローマの政治学者ポリビウスが唱へた様にかの三政体について各々正と不正との二種に分ち、都合大種政体の循環を説いて民衆政治をそのうちまだ一番”まし”なものと考へた。それは、
(一)無法の君主は無法の民衆と変りはない。
(二)一時の激情に煽られて大事を誤り易い事も同様である。
(三)忘恩且つ忸心のないことについても亦然り。
(四)見識批判にかけては民衆は君主に勝る。
(五)官吏の選任は君主よりも民衆の方が誠実にやる。
(六)民衆は君主より善言に耳を傾け易い。
等の理由からである。然し乍らアリストートルやマキヤヴェリとは正反對な見解も亦民衆について行われてゐる。 トーマス・アキナスは多数政治は至る處不和と闘爭であることを指摘し、トーマス・ホツブスも民衆の方が君主よりも小人に誤られ易いと視て居り、フイルマーに至つては民衆政治を次の様に観察して君主政治を主張してゐる。
(一)民衆政治と言つても実は一部のものが民衆の名を假つて野心を恣にするに過ぎない。
(二)民衆の性質は本来放縦に趨り易く随つてその政治は危険である。史上の実例に徹しても民衆政治は多くの賢人を害してゐる。ギリシヤのアリスタテスやテミストクレスは追放され、ミルチアデスは投獄され、フオシオンは死刑となり羅馬でもシピオ兄弟は追放・タキツス、クセノフオン、キエロ等は民衆を「多頭の獣」と呼んだ程である。
(三)君主政治に付いては暴君の専政を恐れるのが常であるが暴君は責任を免れ難いこと到底民衆の様な好い加減なものではない。英國史上でもノルマン征服後六百年間二十六王一も暴君と言ふべきほどの者はない。英國の内乱は暴君よりも民衆の放縦から起つてゐる。
前掲のホツブスは又
(一)君主の方が政治から利己的目的を排斥して公益に合致せしめ易い。
(二)君主政治の方が政務を統一し簡捷にする便宜がある。 として君主政治に賛成してゐる。かう言ふ現実問題の外にアキナスは彼独得の哲学から次の様に君主政治論を主張してゐる。

◎アキナス説  
 自然の法則を観るに、凡て一元的に統制が行はれてゐる。肉体は心により、宇宙は神に依る。政治に於ても多数は至る處不和と闘爭とである。どうしても絶對的な一者に依る政治、即ち君主政治でなければならない。但し君主政治は最良であると同時に一度暴君が出ると却つて最悪のものとなる。そこで君主政治には暴君を廃することを考へねばならぬ。之について或る者は偉大な人物をして暴君を放伐し、國民生活の脅威を除かしめねばならぬと言う暴君放伐論を主張する。然し之は聖書からも認められない。ペテロも言つた様に人は正邪を裁判くべきではない。又不正なる主人とて罰する事は出来ぬ。それは全く神の權に委ねられるべきことである。暴君の虐政に対する反抗は個人の判断に待つべきではなく、公的權威に依つて決せられねばならぬ。然らばその公的權威は如何にして発動し得るか
(一)國民は君主の選任性を有する場合、選任期間即ち元老院や議會で廃立することが出来る。  
(二)上級機関有つて君主を選任する場合、例へばローマ皇帝下のユダヤの如き、皇帝に訴へてその暴君を排除することが出来る。
(三)そんな手段が一切ない場合、その時は神に任す外はない。人類の社會生活には統一秩序がなければならず、統一には中心(*極)がなければならぬと言ふ見地からダンテも君主政治を主張し、これを推して世界の君主國の對立は人類の禍であるとして世界平和の爲に世界國家を考え、世界は一大君主に統治されねばならぬとした事は有名である。
マキヤヴェリと同様の意味に於て一般人の考へ方から寧ろ意外に思はれる は 民主々義の本山と目されてゐるルッソーである。彼は君主政治嫌ひで民衆政治の謳歌者の代表者的人物の様に解されてゐるが、実は後世に各種の政治形態を観察して君主政体は理論として極めて好い政体であるが君主を世襲とすれば名主は出難いし、選挙とすれば毎に國家の不安感を招く。それに政道は民情に通づるを要するが、君民の間は兎角疎隔し易い。何れにしても困難な政体である。貴族政体は人民に貧富に依つて随落せず、門地や閲覧を重んずる淳厚な風俗があれば賢人を推戴し政務を簡捷にする便があるが稍もすれば階級的反感闘爭を免れない。これに対して民主政体は
(一)人民相互が相知り得る程度に小國なること
(二)風俗が簡素で政務が煩瑣でないこと
(三)貧富の懸隔・階級闘爭の爲に組織が瓦解する憂の無いこと
等の諸條件が備われば良いが現実に於て之程政変の起り易い不安な政体はない。恐らく之は神のみに適する政体であつて人間には適すまい。凡そ政治には集約する作用と解消する作用と相待的に含まれて居つて、前者に傾けば民衆→貴族→君主と歸往するが、後者に傾けば君主→貴族→民衆に向ひ遂に暴民政治に成つてしまふ。故に民衆政治程集約向上を図つて常に正しく公共の福利を目的とする民衆の共同意志の実現に注意せねばならぬと説いてゐる。この点に就てはモンテスキューも亦彼と意見を同じくして居る。
之等の諸説を仔細に考察してくれば政体の得失についてはもう十分論が盡されてゐる。民主政治が善いか民衆政治が善いかと言ふ様な事を抽象的に一般的に論じて見てもそれは無駄である。正しくは國民の教養、経済や宗教をも含めた生活状態、慣習、傳統、文化、つまり國民の歴史的展開に即してその國民の秩序、平和、自由、文化を促進し世界人類の幸福に寄興すべき共同善を達成せんとする文明社會の眞意とも言ふべきものを体現運用するに最もふさはしい自然な政体が決定されねばならぬ。シユライエルマツハーも三個の旧分類(即ち君主、貴族、民主)は殊に相矛盾する。例へば民主制で指導者は貴族制に類似し、又ペリクレスの様に一人が君主的支配をする事もある。君主制でも亦さうで、ミラボウも或る意味で君主制は共和制であると言つて居るが正しく其の通りである。と論して居る。政治の成立活動する形式や理論にばかり拘泥するとこういふ矛循に陥る。
英國の元首相ボールドウインは我々は他の國民より勝れて居るのではない。ただ我々はたまたま他の國民と違つた経験を得た。それは問題の解決に当つて暴力では得られない事を永い経験の結果お互の隔意ない協力の下に充分の討議を以て解決すると言ふ方法を選定したことである。従つて政党は理論闘爭をやつて相排擠するものではない。ある党が他の党を容れなくなつたらもう憲政はお終ひである。互に禮を以て國家の爲に民情を盡して意見を交へる処にデモクラシーは誤つて一個の理論か政治の一形式に過ぎぬものの様に解されてゐるがそんなものではなくて文明の一段階である。それは何かあれな寄合ふとか、ものは相談とか言ふ漸次の風習から出来て居る。イギリス人が独りこの風習を自然に民政に移すことに成功したが他の國民達は大早計に之に突入していろいろ培養もせずに之を採用したのであると言々、流石に教養の髙い実際政治家の卓見である。日本は今敗戰の衝擊からウイルソンの所謂平生の培養も なくデモクラシーに突入して天皇制を單に政治の形式と多分に感情的な理論とに捕はれ過ぎて論議して居ないであらうか。

日本天皇
歴史的に視察して日本人の美点から言ふと元来明るい、理想主義の宗教的情緒に豊かな、然し乍ら決してそんな排他的で偏狭なものではなく寛容な人道的精神に富んで、洒落である。 どんなに自國を愛し誇りとしても他國を根から軽蔑し排斥する様な性格とは凡そ緣遠い。一時的感情は別問題である。日本人の生活趣味を見てもすぐ分ることであるが日本人の様に世界中の飲食を愛好して、支那のでも欧米のでも其等の性格様式を容易に摂入れる様な國民がにある何處にあるだらうか。儒教でも佛教でも基督教でも科学でも音樂、藝術でも何でも他國民の宗教や学藝をこれ程寛容に熱烈に共鳴した國民が何処にあるだろうか。それ*欠点を言ふと、感情的で、激し易く消氣易く、ともすれば軽佻で、移り氣である。唯終始一貫して日本民族は他國民と違つた一つの経験を大成した。他民族が國家を成してゆく裡に絶へず主權者の安定を欠いて、所謂易姓革命を免れなかつたにも拘らず、日本民族は西紀で言えば五・六世紀までに対立する諸豪族を完全に統一して元主たる地位を確立された皇室を推戴し、これを單なる政治的機関たるに止めず、プラトーの言葉を借りて言へば、民族最髙の理性に当る治者たらしめんとし、天皇より現実の個人的意志の放恣を去つて超個人的社會的意志とも言ふべき眞正意志、民族社會成員の共同善を実現せんとする一般意志の權化たらしめんとする哲学的道德的努力が君民一致して続けられた。それは全く宗教的情熱を以て行はれた。日本人は一切に内在する絶對者を認めてこれを神とし、國家の生成発展は神の生活である、神は天皇にあつて生くとした。これが現人神の思想である。決して天皇を色も形も聲もない神秘的存在とするものではない。象徴を愛するのは東洋人の特質である。東洋人は眞理を抽象的槪念的に思惟するに止まることが出来ない。必ずこれを象徴しようとする。天皇制の発達も一つはこの民族心理の特徴に因るものであつて單なる偶像禮拝と同視することの出来ないものである。この民族的努力の永い間に皇室は次第に浄化せられて「私」を消失し、「公」に歸し、他國の王室に在る様な「姓」もなくなり、天皇の御名にも「仁」の字が附く様になつた。「仁」とは造化を意味する。斯くして日本天皇には他國の君主の様な暴君と言ふべきものが出現し得ない様になつてしまつた。フイルマーは英國史上案外暴君と言ふべき程の者はないと言つてゐるが、日本史上は全く無くなつてしまつた。 アキナスの憂は日本に無くなつたのである。勿論皇室の地位權威の確立後も、之を奪つて新に自ら取つて代わらうとした者も無いではなかつたがまるで問題にならなかつた。北條軍閥、足利軍閥の勢力威望を以つてしても皇室を迫害はし得たが自らこれに代ることは思ひも寄らず、結局皇族の何人かを求めて新天皇を擁立するに過ぎなかつた。國民を個々に見れば愚昧なものが多くても全体となればそこに超個人的社會的精神が発現するから、所謂民の聲は天の聲で眞の權威は私心私欲からは到底長く成立しない。秦の始皇帝は朕より始めて子孫萬世に至らんと期したが、二代にして終り、あれ程ハイルヒットラーと呼ばせて自己を神聖化し、フューラーの權威を確立しようとしたヒットラーも一代ではかなく敗れた。日本の皇室が連絡として絶へず、天皇の權威が絶対化したといふことは実に地上稀有なことで、それは全く君民一致して天皇を單なる政治的地位に止めず、さりとて羅馬法王の様に政治的地位より完全に分離もせず、眞の創造的立場に中したからである。日本の政治上注意を要する危険は暴君ではなく、この天皇の權威を假つて専制を行ふ特權階級の出現である。事故に対する民衆の不服を抑制するために天皇の權威を利用する事を「袞龍の袖に隱る」といふ。これは日本政治道德上最も重大な戒律である。東條大將も始終自分の威令の行はれ難いことには「聖慮」をふりかざした。然しこの事が度重なるにつれてその部下も國民も次第にその不当不敬を自覚して東條を批難し排斥する聲が髙くなつた。東條一派の焦慮と反比例に國民が非協力的になつて行つたのはここに一つの大きな原因がある。 日本の政治上もう一つの危険性は、政治の要職にある者が身の安穏を計る爲に「累を皇室に及ぼす」と言ふことを好い遁辞にして責任を逃れ無爲無策に甘んじ國民の進取発展を阻害する事である。日本近代の重臣は一様にこの傾向が強かつた。これがどれぐらい國民の氣分を腐らせたか測り知れぬものがある。戰爭末期に民衆の間から盛んに起つた大權発動論、天皇親政論はこういふ両様の政治家に對する民衆の不信と絶望との反映であつて外國ならば当然民衆革命の起こるところであるが日本の國体ではさう言う時に必ず民衆は創造的地位に立つ天皇に直結しようとするのである。かう言う弊害を調整する爲に政府に對して両院と樞密院とがあつたのであるが、それが何れもその職責を盡さなかつたので政治的責任は主として政府議會樞密院にある。天皇に政治的責任はない。然し乍ら天皇の道德として深い「自責」は御ありにならねばならぬ。歴代天皇の詔勅を拝見すればその点実に嚴肅である。一天皇は決して單なる政治的元首に止まるものではなく、前述の通り長い長い間に民族の生活と理性とから築き上げられて来た國家の創造的主体であつて、國民から言へば天皇は絶對であるが天皇からは完全な民本主義である。只これを近代的デモクラシーの形に於て政治に組織運用するだけの十分な培養が缺けて居つた。これを注意深く育て上げれば日本独得の天皇制の下に他國とは趣の異つたデモクラシーの運用が行はれねばならぬ道理である。天皇制を廃すると云う様なことは民族の歴史を抹殺する事であり、天皇制以上のものは百年、千年かかつても日本人に出来るものではない。 世には日本國家成立期の科学的研究により、皇室は必ずしも民族の宗家でないとか、皇室と對抗する諸豪族を制服して初めて支配權を確立した特權階級であるとか、古事記や日本書記を多分に皇室の政治的意図の下に作成された記録として皇室の權威を否認し、天皇と國民との関係を薄んじようとする学者もあるが、その時局に阿諛するか否かに学者的良心問題は別にして、さういう研究は今日何等日本國家と天皇との関係を動かす事は出来ない。若しさういう理由に依つて天皇の權威を否認するならば人間の祖先は猿と連枝である。英國民の祖先は海賊である。アメリカの先達は掠奪者であるからと言ふ理由で人間の權威や文明の意義を無視するに侔しい。人類の歴史的展開の意味を知らぬ非学問的見解と言はねばならぬ。日本人もボールドウインやウイルソンの説いた様に自然にして眞実な生活の中から注意深く政治を育て、一朝一夕の激情偏見を以て永久の不安を混乱とを招かぬ様にせねばならぬ。

Reference:
安岡正篤 (1945) 「政体と日本天皇制」