語学力に埋もれた、”異文化コミュニケーション力”の重要性と構築術

異文化コミュニケーションとは、”文化的背景を異にする存在同士のコミュニケーションのことである。… 性別、年齢、職業、社会的立場、出身地の違い、など数多くの異文化が存在し、それぞれの違いを乗り越えてコミュニケーションすることすべてが異文化コミュニケーションである”(異文化コミュニケーション – Wikipedia)

海外旅行を充実させたり海外で生活する上で”語学力”と同等、もしくはそれ以上に欠かせない能力は、”異文化コミュニケーション力”である。異文化コミュ力がなければ、充実した海外生活を送ることはできない。多くの人が、語学力に長けた人間=異文化コミュ力にも長けた人間 だと思いがちだが、異文化コミュ力は必ずしも語学力に依存しないと筆者は考える。事実、英語が堪能にも関わらずコミュニティに馴染めない人間は少なくないのだ。

この記事は、海外での異文化コミュニケーションで失敗や挫折を経験した方を非難するために書かれたものではない。むしろ、不適切だと思う環境下で苦しみ続けるくらいなら、その場を離れた方が良い場合もある。いくらこちらが心を開いても、拒絶する人間には近寄れない。

しかし、たちの悪い日本人がいるのも事実だ。異文化コミュ力は、培うことのできる能力であるにも関わらず、己の努力不足を周りの環境のせいにして、国の民度が低いだの人種差別だのとグチグチ言い訳するろくでなしがいるのだ。YouTubeでもこの手の重症患者の一部が『〜での差別体験』などと謳い、淡々と文句を垂れている始末。このような連中は、下手に強がらずに黙ってさっさと帰国したほうがよい。寧ろ、特定の国や人種を蔑む行為(差別)によって現地での生活費を稼がれては困るので、差別体験談系の動画及び動画配信者を、視聴者が徹底的に淘汰してやるくらいの姿勢でもいいのではないかと感じる。

本題に入る前に、人種差別に関して少し掘り下げたい。最近、西洋諸国でのアジア人への偏見に関する面白い発見があったのでここで共有する。日本では「モンゴロイド」という単語は”黄色人種”を意味するが、西洋諸国では”ダウン症患者”の差別的表現となることはご存知だろうか。1866年 ダウン症候群の原因が、コーカソイドより劣っていると考えられていたモンゴロイド系人種に由来する遺伝的障害と考えられており、Mongolism(蒙古人症)と呼ばれていた。1956年に遺伝情報の構成的異常が原因だと解明されたが、現在に至っても「モンゴロイド」は”ダウン症患者”の意味合いが強いことから、今日のアジア人差別の背景にはこうした黄色人種=劣等人種という認識があるということを忘れてはならない。尚、本記事では人種差別を克服する魔術を紹介するつもりはない。そんなものあったら教えてほしいくらいで、そもそも人種差別をするような知恵の遅れた人間は相手にしないのが大前提である。

 

さて、ようやく本題に入る。異文化コミュ力は、国内でのコミュ力との因果関係は多少あるように思え、日本でコミュ力を発揮できない人間が海外で異文化コミュ力を開花することはまずないと信じている。多くの問題は、相手が日本人であればすぐに馴染めるような任意のコミュニティがあった場合、外国人相手にはうまく馴染めないということだろう。このような状況に陥った場合に求められるのは、内的観察と外的観察である。

内的観察は言わば、自分は社交的なのか内気なのか、自分はこれまでどんな人間と良い関係を築いてきたのか、今どんな人間と親しくなりたいのか、どんな人間とは関わりたくないのか等の自己分析であり、現在のポジショニングを確立するために用いられる。異文化に揉まれると自分を見失いがちだが、自分のポジションを明確にしなければ、他人からは見えていないのも同然である。外的観察は、コミュニティ内の人間関係を図式化し、コミュニケーションのターゲットを絞るために用いられる。人種、年齢、性別等のバイアスを取り払い、会話に耳を傾ける。相手の話し方ではなく、話の内容に気を配るよう意識する。

日本の全体主義とは反対に個人主義を貫く西洋諸国で、”自分と似た人間”を探すのはナンセンスである。もし日本で似た者同士としか良好な人間関係を構築できていないのであれば、まずはそこから克服するべきだ。多くの日本人がアジア人のみで構成された小さなコミュニティの枠を越えられないのは、この認識の違いに起因すると考える。

 

もし西洋人コミュニティに近寄る事すらできない段階であれば、それは素直に自分のリサーチ不足であることを認めるべきである。言い方を変えれば、挫折するには早すぎる段階で、異文化コミュ力不足によるものとも証明されたわけでない。

かつて橋下徹氏は、都構想を勉強せずに「わからない」と発言するコメンテーターを”バカコメンテーター”と呼んでいたが、それは彼自身がコメンテーターだった頃に、事前に与えられたテーマについて情報収集と勉強を徹底した上で収録に臨んでいたため、バカコメンテーターのプロ意識の足りなさに憤慨していたのだった。

異文化コミュニケーションにおいても、最低限の下調べは事前に済ませておくべきである。事前に行き先がわかっているのだから、本やインターネットで情報が溢れているこの時代に「知りませんでした」は通用しない。もし調べてもわからないことがあれば、人に聞けばよい。言語、文化、宗教、政治等、思いつくものや見つかるものは何でも片っ端から頭に詰め込む。音楽、映画、本やコメディアン等の知識も蓄えておけば、良い会話のスターターになる。アプローチの仕方が「わからない」のは、単に勉強不足の裏返しである。

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